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最高裁判所第一小法廷 平成8年(行ツ)76号 判決

上告人

鈴木祐子

外一四八名

右一四九名訴訟代理人弁護士

後藤孝典

和久田修

被上告人

建設大臣中山正暉

右指定代理人

柳井康夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人後藤孝典、同和久田修の上告理由第一点について

一  本件は、被上告人が都市計画法(平成三年法律第三九号による改正前のもの。以下「法」という。)五九条二項に基づいて東京都知事に対してした環状六号線道路拡幅事業の認可処分及び同条三項に基づいて首都高速道路公団に対してした中央環状新宿線建設事業の承認処分(以下、これらの処方を「本件各処分」という。)が違法であるとして、右各事業の事業地内の不動産につき権利を有し又は同事業地の周辺地域に居住し若しくは通勤、通学する上告人らが、本件各処分の取消しを求める事件である。

二  行政事件訴訟法九条は、取消訴訟の原告適格について規定するところ、同条にいう当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいい、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、このような利益も右にいう法律上保護された利益に当たり、当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟における原告適格を有するものというべきである。

三  右の見地に立って、本件訴えについての上告人らの原告適格について検討する。

1  都市計画事業の認可又は承認(以下「認可等」という。)が告示される(法六二条一項)と、(1) 事業地内において当該事業の施行の障害となるおそれがある土地の形質の変更、建築物の建築、その他工作物の建設を行うこと等が制限され(法六五条一項)、(2) 事業地内の土地建物等を有償譲渡しようとする際には、施行者に優先的にこれらを買い取ることができる権利が与えられ(法六七条)、(3) 認可等をもって土地収用法二〇条の規定による事業の認定に代え、右告示をもって同法二六条一項の規定による事業認定の告示とみなした上、都市計画事業を同法の事業に該当するものとみなして同法の手続により土地の収用、使用をすることができるものとされている(法六九条以下)。これらの規定によれば、事業地内の不動産につき権利を有する者は、認可等の取消しを求める原告適格を有するものと解される。

2  これに対し、事業地の周辺地域に居住し又は通勤、通学するにとどまる者については、認可等によりその権利若しくは法律上保護された利益が侵害され又は必然的に侵害されるおそれがあると解すべき根拠はない。すなわち、法の目的を定める法一条、都市計画の基本理念を定める法二条、都市計画の基準を定める法一三条、認可等の基準を定める法六一条等の規定をみても、法は、都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保するなどの公益的見地から、都市計画施設の整備に関する事業の認可等を規制することとしていると解されるのであって、これらの規定を通して事業地周辺に居住する住民等個々人の個別的利益を保護しようとする趣旨を含むものと解することはできない。法一三条一項柱書き後段が当該都市について公害防止計画が定められているときは都市計画は当該公害防止計画に適合したものでなければならないとしているのも、都市計画が健康で文化的な都市生活を確保することを基本理念とすべきであること等にかんがみ、都市計画がその妨げとならないようにするための規定であって、やはり専ら公益的観点から設けられたものと解すべきである。また、法は、公聴会を開催するなどして住民の意見を都市計画の案の作成に反映させることとし(法一六条一項)、都市計画の案について住民に意見書提出の機会を与えることとしている(法一七条二項)が、これらの規定も、都市計画に住民の意見を広く反映させて、その実効性を高めるという公益目的の規定と解されるのであって、これをもって住民の個別的利益を保護する趣旨を含む規定ということはできない。そうすると、本件各処分に係る事業地の周辺地域に居住し又は通勤、通学しているが事業地内の不動産につき権利を有しない上告人らは、本件各処分の取消しを求める原告適格を有しないというべきである。

3  以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右判断は、所論引用の最高裁昭和五七年(行ツ)第四六号平成元年二月一七日第二小法廷判決・民集四三巻二号五六頁及び最高裁平成元年(行ツ)第一三〇号同四年九月二二日第三小法廷判決・民集四六巻六号五七一頁に抵触するものではない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第二点について

都市計画法施行法二条によれば、旧都市計画法(大正八年法律第三六号。以下「旧法」という。)の下で適法、有効に決定された都市計画は、改めて法の規定する手続、基準に従って決定し直さないでも、そのまま法に基づいて適法、有効に決定された都市計画と認められ、法の都市計画に関する規定が適用されることになると解される。したがって、旧法の下で適法、有効に決定された都市計画において定められた都市施設を整備する事業を行う場合には、施行者は直ちに当該事業の認可等の申請を行えば足り、その要件とされる法六一条一号の適用においても、事業の内容が旧法下で決定された都市計画に適合していれば足りると解すべきである。そうすると、旧法の下においては都市計画の基準として公害防止計画に適合することを要するとはされていなかったのであるから、旧法の下において決定された環状六号線整備計画は、その後に定められた公害防止計画に適合するか否かにかかわらず、現行法下においてもそのまま適法、有効な都市計画とみなされるものというべきであり、右整備計画に適合するものとしてされた環状六号線道路拡幅事業の認可に違法はない。

右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、独自の見解に立って、又は原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。

同第三点について

法一三条一項柱書き後段は、前記のとおり、都市計画が公害防止計画の妨げとならないようにすることを規定したものと解される。そして、公害防止計画とは、「当該地域において実施されるべき公害の防止に関する施策に係る計画」のことをいうのである(公害対策基本法(昭和四二年法律第一三二号)一九条一項)から、そこで執ることとされている施策を妨げるものであれば、都市計画は当該公害防止計画に適合しないことになるが、法一三条一項柱書き後段が右施策と無関係に公害を増大させないことを都市計画の基準として定めていると解することはできない。そして、原審の適法に確定した事実関係の下においては、中央環状新宿線建設計画が本件公害防止計画の執ることとしている施策の妨げとなるものでないことは明らかであるから、右建設計画は、本件公害防止計画に適合するというべきであり、法一三条一項柱書き後段に違反しない。

以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎)

上告代理人後藤孝典、同和久田修の上告理由

第一 上告理由第一点

原判決は、原告適格について、行政事件訴訟法第九条、都市計画法第一条、第二条、第一三条各号列記以外の部分、同条一項五号の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

原判決の右法令解釈は、新潟空港事件(最高裁第二小法廷平成元年二月一七日判決・民集四三巻二号五六頁)、もんじゅ行政訴訟事件(最高裁第三小法廷平成四年九月二二日判決・民集四六巻六号五七一頁)についての最高裁判所判決に違反するものである。

一 原判決は、上告人らの原告適格を否定し、その理由として、左記第一審判決理由を引用し、この部分については第一審判決を変更する必要はないとしている。

「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益又は住民の良好な生活環境を享受するという利益は、事業地付近の広い範囲にわたる住民に一般的に共通する利益であり、付近住民は多かれ少なかれ、本件の認可又は承認に係る事業によってその利益に影響を被るのであって、特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、その侵害をもたらすとされる事業の施工前に明かとなることがあり得るとは経験則上考えられないし、本件認可又は承認の根拠法規にもそのような住民を区別するような基準を定める規定は置かれていない。」

しかしながら、右引用部分において、「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益」と「住民の良好な生活環境を享受するという利益」が「又は」という言葉によって、併置の関係として捉えられているところに、原判決が、行政事件訴訟法第九条の規定する原告適格について重大な誤りを犯すものであることが、端的に示されている。

「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益」と、「住民の良好な生活環境を享受するという利益」とは、一見、都市計画事業によって住民が受ける利益を、前者は否定的側面から、後者は肯定的側面から捉えなおした表現の違いに過ぎないように見えるが、そうではない。およそ、原告適格の存否を判断するに当たっては、この両者は明解に区別されなければならず、併置される関係ではない。

なぜなら、「住民の良好な生活環境を享受する利益」は、都市計画法が全体として目的的に追求実現しようとする公益そのものであり、都市の住民全てが等しく享受する利益であるから、それだけでは、特定の住民を他から区別することはできない。従って、ここだけから、取消し訴訟の原告適格を肯定する根拠が導かれることはありえない。ところが、「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」についてはそのように言うことはできない。都市計画法が目的的に全ての住民に被害を与えるわけではなく、都市計画事業によって被害を受けるのは一部の住民に過ぎない以上、被害を受ける特定の住民を被害を受けない他の一般の住民から区別することが出来るからである。

原告適格とは取消し訴訟による救済を求め得る資格を言うものである以上、救済を求める「被害」に着目すべきは、けだし論理の必然であろう。

その上、ここで言う「住民の大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」は、ある特定の住民の利益と言っても、財産に関する利益ではなく、住民の生命、身体、健康等に関する利益であるから、その利益は、住民一般の利益ではありえず、固有名詞を有する、ある特定の個人らの固有の利益であるから、個別具体性を有する利益であることは明らかである。

二 およそ一般に、行政法規は公益の実現を期して策定されるものであるから、当該法規が実現せんとする利益は肯定的側面からのみ規定されている。従って、行政事件訴訟法第九条に言う法律上の利益が、当該行政行為の根拠法規に明記された利益のみを指すものとすれば、取消し訴訟に於ける(当該行政行為の名宛人以外の第三者たる原告の)原告適格は、ほとんど全ての場合に否定されることとなり、行政事件訴訟法に取消し訴訟が設けられた意味の大半を没却することになる。

したがって、原告適格を支える法律上の利益は、当該行政行為の根拠法規が公益を追求実現せんとする諸規定を置くにしても、それら規定が公益実現の反面として、第三者たる、被害を受ける者の「被害を受けない利益」をも保護する趣旨を含むものか否か、によって決せられねばならない。

新潟空港事件(最高裁第二小法廷平成元年二月一七日判決・民集四三巻二号五六頁)、もんじゅ行政訴訟事件(最高裁第三小法廷平成四年九月二二日判決・民集四六巻六号五七一頁)についての最高裁判所判決が、行政行為の根拠法規に「法律上の利益」が明記されていなくても、当該法規の解釈によって、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、原告適格を肯定すべしとするのは、かかる観点によるものと解せられる。

なぜなら、不特定多数の具体的利益が、当該法規が目的的に追求実現しようとする公益と同一内容であるとすれば、この両者を区別するメルクマールが存在せず、その不特定多数の具体的利益は一般的公益に吸収解消されざるを得ない。しかし、不特定多数の具体的利益が、当該法規が目的的に追求しようとする公益実現の反面として、その過程でこぼれ落ちる「被害を受けない利益」である場合には、「被害を受けない利益」が直ちに一般的公益に吸収解消されるとは断定できず、改めて当該法規が「被害を受けない利益」まで保護する趣旨を含むか否かの検討を要するからである。

この意味で、本件において、原告適格の存否を判断するにあたっては、本件事業地に土地所有権等の財産権を有する上告人ら以外の上告人(以下、単に非財産上告人という場合がある)らが、本件都市計画事業によって、「良好な生活環境を享受する利益」を侵害されないことが都市計画法上保護されているか否か、を検討するのは誤っているのであって、非財産上告人らが「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けないという利益」が都市計画法上保護されているか否かを検討すべきなのである。

原判決は、右引用部分だけではなく、その判決理由全体を通じて、右「享受する利益」と右「被害を受けない利益」とを截然と区別せず、このため原告適格の存否につき誤った結論に至っている。

三 原判決は、都市計画法一三条一項五号「良好な都市環境を保持する」の意義について、周辺住民の「良好な都市環境を害されないという個別的利益」をも保護した規定であると解する余地はない、と判断している。

しかしながら、「良好な都市環境を害されないという個別的利益」という整理は極めて曖昧である。右に述べた「享受する利益」と「被害を受けない利益」とを混同する表現である。非財産上告人らが主張しているのは、右「良好な都市環境を保持する」には、個別的な「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」が含まれている、と主張しているのである。

そもそも、「良好な都市環境」という言葉は、都市に住む住民にとって、都市環境が良好であることを意味している。これに、都市計画法一三条一項各号列記以外の部分に公害防止計画への適合が要求されていること、同法二条に、都市計画は「健康で文化的な都市生活を確保すべきことを基本理念として定めるものとする」と規定されていることを、併せ考えれば、この「良好な」都市環境という言葉の中に、「公害のない」都市環境が含まれていると解することに何の障害もない。旧公害対策基本法第二条によれば、「公害のない」とは、つまり「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」のことなのである。

原判決は、右否定の理由として、「都市環境」とは、一般に、交通、衛生、治安、経済、文化、生活便益等の生活環境を総称するとし、このことは、同項が、市街化区域にあっては道路、公園、下水道を、第一種住居専用地域等にあっては義務教育施設を都市施設として定めるべきことを規定していることに照らしても、明らかである、としている。

しかしながら、この判断は誤っている。

まず第一に、「都市環境」の一般的な定義が原判決の言うとおりであるとしても、ここでの課題は、都市環境の定義如何でなく、この「良好な都市環境」が、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を肯定しているか否定しているかなのである。原判決は、良好な交通、衛生、治安、経済、文化、生活便益等が、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を含むと解されるか否かを検討してさえいない。

同項が、市街化区域にあっては道路、公園、下水道を、第一種住居専用地域にあっては義務教育施設を都市施設として定めることを規定しているとしても、それは「少なくとも」定めよと規定されているだけである。最低の必要条件が規定されているだけであって、最大十分条件が規定されているわけではない。「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を考慮してはならない、と規定されているわけではないのである。原判決の論理は破綻している。

ここでも原判決は、「都市環境」は公益であるから個別的利益の保護は含まれていない、との同義反復論法を繰り返す誤りを冒している。

四 原判決は、都市計画法一三条一項各号列記以外の「当該都市について公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合したものでなければならない。」との関係についても原告適格を否定している。

その理由とするところは二点である。

その一は、右規定は、健全な都市の形成、発展を期する観点から、都市計画は国土計画や地方計画、道路などの国の計画など、他の法律等に基づく計画との整合性ある計画の策定を期したもので、専ら公益の保護に出た規定である。

第二に、右規定を付近住民の個別的利益を保護する規定だとすると、公害防止計画が定められている都市を、定められていない都市に比し、特別扱いしていることになり、合理的理由がない。

1 しかしながら、右も判断を誤ったものである。

(一) まず原判決は都市計画法一三条一項各号列記以外の部分の条文の一部を読みとらない誤りを犯している。

同部分は三つの部分から構成されている。

一つは、都市計画は国土計画、地方計画、施設に関する国の計画に適合しなければならないとする部分である(甲部分という)。

二つは、「当該都市の特質を考慮して、(次に掲げるところに従って、)土地利用、都市施設の整備及び市街地開発事業に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを、一体的かつ総合的に定めなければならない。」とする部分である(乙部分という)。

三つは、「公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合したものでなければならない。」とする部分である(丙部分という)。

原判決は、甲、乙、丙の三つの部分から構成されている都市計画法一三条一号各号列記以外の部分に存在する丙の部分を解釈するにあたり、甲の部分だけを検討している。これは「このことは、同項がその直前において、全国総合開発計画……に関する国の計画に適合するよう定めなければならないと規定していることからも明らかである」とする部分に明瞭である。

つまり乙の部分に故意に触れていない。条文の解釈として合理的態度ということはできない。

(二) 仮にもし、原判決の言うとおり、丙、つまり公害防止計画適合要求は、単に他の法律に基づく国の開発計画等に整合することと同じ意味で要求されているにすぎないとすれば、公害防止計画適合要求についても、全国総合開発計画や首都圏整備計画等と並んで、甲のなかに規定されたはずである。例えば、「都市計画は、全国総合開発計画、公害防止計画(公害防止計画が定められている場合に限る)、首都圏整備計画、……」と並列列挙されていたはずである。

そのようには規定されず、「都市計画は、甲とともに乙。この場合において、当該都市について丙」と規定されているのは、丙は、甲と同格に扱われるものではなく、乙に密接に関連するものであることを示している。

(三) 次いで、甲の部分は、都市計画は他の法律に基づく計画との整合性を要求しているのであるから、原判決の言うとおり、公益に出た条文であることは間違いない。しかしながら、ここでの課題は、公益に関するか否かではなく、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」を保護する趣旨を含むか否かなのである。原判決は、この検討をまったく行なっていないのである。これでは、原告適格の存否を判断したとはいえない。

右甲、乙、丙の三つの部分の相互関係は、「都市計画は、甲とともに乙。この場合において、当該都市について丙」となっている。「この場合において」の場合とは、文脈上乙のことであり、乙の場合に丙なのであるから、丙の意味を検討するには、乙の意味を検討しなければならないことは、明らかである。

丙との関係を考慮しながら乙の内容を検討すると、丙は、「当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なもの」の一つとして要求されていることが明瞭である。

仮にもし、原判決の言うように、丙が単に、都市計画が他の法律に基づく国の開発計画等に整合することを要求するだけの意味であるなら、事柄の性質上、右乙の部分で、「当該都市の秩序ある整備」とだけ言えば十分である。それとは別に「当該都市の健全な発展」までを言う必要がない。

つまり、「当該都市の秩序ある整備」とは区別されたものとしての「当該都市の健全な発展を図るため必要なもの」の一つとして、丙、すなわち、公害防止計画への適合が、要求されているのである。

2 「健全な発展」とはいかなる意味であろうか。

(一) 用語の通常な用法に従えば、「健全な」の意味は、第一義的には、心身ともにすこやかで異常のないことをいい、第二義として、物事に欠陥やかたよりがないことをいう(広辞苑)としてよいであろう。ここでは「健全な発展」は「当該都市の秩序ある整備」と区別された意味としてのそれであること、欠陥やかたよりがないことは右「秩序ある整備」とほぼ同じ意味であることから、「健全な」とは、第一義の意味と解するほかはない。しかし、都市が心身ともにすこやかで異常のない、では意味をなさないから、「当該都市の健全な発展」とは、結局、都市の住民が心身ともにすこやかで異常のないように都市が発展することを意味していると解せられる。この意味の中には、「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない」ことが含まれることは明瞭である。

かくして、「当該都市の健全な発展を図るために必要なもの」の一つとして、公害防止計画適合性が要求されることは、極めて整合的である。

(二) 右と同じ解釈が、仮に、法の目的を定める都市計画法第一条、及び都市計画の基本理念を規定する同第二条からも論理的に導きうるとすれば、右解釈は都市計画法の法の趣旨に合致する合理的解釈であるということができるであろう。

(1) 都市計画法第一条は、法の目的として、「都市の秩序ある整備を図る」ことと併せて「都市の健全な発展を図る」ことを挙げている。

同第二条は、都市計画を定めるに当たって、「健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと」を基本理念とすべきことを規定している。

第一条と第二条とを対比して用語の対応関係を検討すると、「都市の秩序ある整備を図る」ことが、「機能的な都市活動を確保すべきこと」に対応し、「都市の健全な発展を図ること」が、「健康で文化的な都市生活を確保すべきこと」に対応していることは明瞭である。

このことから、第一条と第二条とを総合すると、都市計画法は「都市の健全な発展を図ること」をその目的の一つとし、この目的の下に、都市計画は「健康で文化的な都市生活を確保すべきこと」を基本理念として定めなければならない、としていると解せられる。

ところで、前記新潟空港事件についての最高裁判決は、原告適格の存否の判断にあたって、「当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規及びそれと目的を共通にする関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において、当該処分の根拠規定が、当該処分を通して右のような個々人の個別的利益をも保護すべきものとして位置付けられているとみることができるかどうかによつて決すべきである。」としていた。

この意味において、都市計画法の解釈にあたり、旧公害対策基本法が、都市計画法と目的を共通にする関連法規に当たるか否かを検討することとする。

旧公害対策基本法第一条は、「この法律は、国民の健康で文化的な生活を確保するうえにおいて公害の防止がきわめて重要であることにかんがみ、……公害の防止に関する施策の基本となる事項を定めることにより、公害対策の総合的推進を図り、もって国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全することを目的とする。」と定めている。つまり旧公害対策基本法は、「健康で文化的な生活」を「都市生活」に限定せず、それを包括する、国民の「生活」全体について「健康で文化的な」ものであることを確保しようとする法であるから、健康で文化的な「都市生活」を確保すべきことを基本理念としている都市計画法よりも、その取扱う対象範囲がより広範であり、都市計画法を包摂しているということができる。したがって、旧公害対策基本法は都市計画法を包摂する上位規範であり、「目的を共通にする関連法規」であるということができる。

そこで、旧公害対策基本法の関連規定を検討するに、その第二条は「公害」を次のように定義づけている。「この法律において『公害』とは、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、……地盤の沈下……によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずることをいう。」

この第二条の定義によれば、これまで論じてきた「大気汚染若しくは地盤沈下の被害を受けない利益」とは、「公害を受けない利益」のことをいうことが明らかである。加えて、旧公害対策基本法の第一条及び第二条に照らせば、都市計画法第二条にいう「健康で文化的な都市生活を確保すべきこと」とは、「公害を受けない都市生活を確保すべきこと」を意味していることも明瞭である。

それでは、都市計画が「公害を受けない都市生活を確保すべきこと」を基本理念として定められなければならない、とは具体的にはいかなることを意味するのかを、更に進んで考究する。

(2) 旧公害対策基本法は、その名のとおり、全体として、公害防止に関して行政庁の基本的な努力目標並びに施策方針を規定する法律であって、具体的な施策を規定する法律ではないというべきであろうが、それでも二点については、第一条の目的を達成するための具体的な施策を規定していることもまた明らかである。その一は、政府が環境基準を定めるとする第九条であり、その二は公害防止計画の作成に関する規定である。

第二章「公害の防止に関する基本的施策」の第四節「特定地域における公害の防止」の第一九条は、内閣総理大臣と都道府県知事に対し、一定条件のもとにおいて、公害防止計画の作成を義務付けている。すなわち、現に公害が著しいか、または、公害が著しくなるおそれがある地域であって、かつ、公害の防止に関する施策を総合的に講じなければ公害の防止を図ることが著しく困難であると認められる地域、または著しく困難になると認められる地域について、内閣総理大臣の指示があるときは、都道府県知事がこれを作成しなければならず、作成したときは内閣総理大臣の承認を受けるものとしている。

旧公害対策基本法全体の条文を検討すると、不十分な施策ではあるが、少なくとも当面は、環境基準と公害防止計画によって、公害を防止しようとする法意であることは明瞭である。

都市計画法と、かかる法意である旧公害対策基本法の第一条、第九条、第一九条などの関連法規によって形成される法体系の中に、前記「公害を受けない都市生活を確保すべきこと」を置いて、その意味を吟味すれば、より具体的には、(当該都市に公害防止計画が定められているときは)「公害防止計画に適合するように都市生活を確保すべきこと」を意味していることは明瞭である。

これは即ち、都市計画法第一三条一項各号列記以外の部分の、前記丙の部分とまったく同じ意味に帰するのである。

かくして、都市計画法第一三条一項各号列記以外の部分の、前記丙の部分だけの解釈によっても、これに加えて、これとは別に、都市計画法第一条、第二条からの解釈によっても同一の結論に達するのである。このことは、かかる解釈の正しさを裏付けているといえよう。

このようにして、本件認可及び承認の根拠条文たる都市計画法第一三条の前記丙の部分は、都市計画は、旧公害対策基本法が定める意味における、公害防止計画に適合するように定められなければならないことを意味するものなのである。

(3) ところで、旧公害対策基本法の定める公害とは、人の健康に係る被害が生ずることをいうものであり、国民の健康で文化的な生活を確保するうえにおいて、これを防止することが極めて重要であるものであった。従って、「公害を受けない利益」は、人の健康にかかわるものとして法律上保護されている利益ということができる。

「公害」は、単に、広く一般の人々に「被害」が発生することをいうのではない。人の活動によって(災害によってではなく)人の健康が害せられ、その被害を受ける人々の範囲が広範である場合のことをいうのであり、その核心は健康被害にある。

かかる健康被害は、ある特定個人の上に発生するものであることが重視されねばならない。健康被害は、より厳密には、一定の健康状態からの悪化、減退をいうが、かかる悪化、減退は、ある個人甲と別の個人乙との間ではそもそも比較すること自体が意味をなさず、ある特定の固有の人の時間的に前後した健康状態の間においてのみ比較可能であるに過ぎない。つまり一般的健康なるものは概念として存在し得ず、ある特定の個人の健康しかありえないものである以上、「公害を受けない利益」は、個々人の、個々人が他人に譲り渡すことができない固有の、法律上保護される、個別的利益であることは明瞭であると言わねばならない。

従って、「公害を受けない利益」はいかなる意味においても反射的利益ではありえない。

「公害を受けない利益」はかかる固有性を本質とする概念であるから、国民一般の利益を意味する伝統的「公益」概念には包摂不可能なのである。

これをより詳しく論ずれば、「公害を受けない利益」は「公益」と対立あるいは衝突することを本来予定している概念であり、それ以上に「公益」よりもより上位に位置する価値(国民の健康)を擁護する概念であることである。ある行政法規が国民一般のために「公益」を追求実現せんとする法規であるとしても、その「公益」を追求する過程において「公害を受けない利益」と矛盾衝突するときには、その「公益」を否定するに至らないまでも、その「公益」追求に一定の制約を課さんとする概念であることである。つまり「公害を受けない利益」は「公益」を追求する行政権の行使に一定の制約を課す概念なのである。

かかる意味での公害防止の意義を確立したのがまさに旧公害対策基本法の法意であり、同法第四条、五条において国と地方公共団体に公害防止施策の策定とその実施を義務づけた所以であった。

(4) 「公害を受けない利益」の法的な性質が右のようなものであるにもかかわらず、なお都市計画法は住民の「公害を受けない利益」まで保護するものではないとするときは、その解釈は都市計画法の条文と最高裁判決に反する結果にならざるを得ないこととなるのは必定である。

原判決は、「良好な都市環境」とは、交通、衛生、治安、経済、文化、生活便益等の生活環境を総称するものにすぎないとし、都市施設の付近住民の生命、身体を保護する趣旨は含まないと判断した。しかしながら、都市計画法の諸条文の中には、交通、衛生、経済、文化となんらかの関連を有する第八条の地域地区、第一一条の都市施設に関する条文は存するものの、治安に関する条文はまったく存在せず、またかかる判断に至った過程が論証されていないことから、この判断は根拠のない断定というほかはない。おそらくは原審は、都市計画法は合理的な土地利用を中心的価値基準として地域地区、都市施設などの物的整備を公益目的とする法に過ぎないものと解したものであろう。

しかし第一に、この解釈が成立するためには、都市住民は行政庁にとって視野の外にある単なる第三者にすぎないことになるから、都市計画の決定手続から住民が排除されていなければならないはずである。ところが、都市計画法は、都道府県知事等による都市計画案の作成にあたっては公聴会の開催等「住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずる」こととされており(第一六条一項)、都道府県知事等が都市計画案を決定しようとするときはその旨を公示したうえ当該都市計画案を「公衆の縦覧」に供しなければならず(第一七条一項)、かかる公示があったときは、「関係市町村の住民」は都道府県知事に対し意見書を提出することができる(第一七条二項)とし、この意見書が提出されたときは、都道府県知事はその要旨を都市計画地方審議会に提出しなければならない(第一八条一項)と規定されて、住民は都市計画決定手続の当事者の一人として参画できることが法定されている。

原審の右解釈はこれら諸規定と矛盾するといわざるをえない。

この点につき、原判決は、「これらの規定も都市計画に広く住民の意見を反映させるという一般公益上の目的を実現するために設けられたものと解され……都市計画の対象となる地域周辺の住民の前記のような利益が個別的、具体的に保護されていると解することもできない」として切捨ててはいる。

しかし、都市計画法第一七条の条文上、「関係市町村の住民」の意見の内容について法律上の制約があるわけではなく、「関係市町村の意見」しか言えないとされているわけでもなく、「自己の利益を守るための意見」ないしは「公害被害がないようにせよとの意見」を言うことが許さないとされているわけでもない以上、右の諸規定を「一般公益上の目的を実現する」ものと断ずるのは、「一般公益」を意味不明なまま(つまり、都市施設の物的整備をすすめるという公益との異同を明解にしないまま)濫用するものであり、あまりにも恣意的である。住民が自分固有の意見をもって都市計画決定手続に参画することが許されている以上、住民個々人の、他人に譲ることができない利益が保護されているものと解するのが当然である。

第二に、都市施設等の物的整備をすすめるときそれに随伴して発生してくる公害を、都市計画法の外に追い出し、同法は関知しない旨を明確に規定する条文が都市計画法の中に置かれているならば、右解釈が成立する余地もあるとしてよいであろう。ところがそのような条文が置かれていないことは明らかである。

逆に、都市計画法第一条は法の目的として、物的整備をすすめる趣旨と同一の意味の「都市の秩序ある整備を図る」旨を規定する外に、「都市の健全な発展」を置いて、物的に整備するだけではなく、それが「健全」なものでなければならないとして、都市に住む住民にとって健全であることを要求している。その上、同第二条は都市計画の基本理念として、都市計画は物的整備が「機能的な都市活動を確保」するだけではなく、「健康で文化的な都市生活を確保」するものでなければならないとして、都市に住む住民にとって健康で文化的であることを要求しているのである。

この法意は、都市計画法を旧公害対策基本法との関連において解釈すべきことを意味しているとしか解しようがないのである。これをさえ否定するのであれば、前記もんじゅ行政訴訟事件最高裁判決に反する解釈に陥ることとなることは、すでに明瞭である。

(5) ところで原判決は、都市計画法一三条各号列記以外の部分の「公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合したものでなければならない」について、原告適格を否定する論拠の第二点として、これが付近住民の個別的利益の保護をも考慮した規定であるとすると、「法は、公害防止計画が定められている都市の住民に対しては、これが定められていない都市の住民と区別して、特別の保護を規定していることとなる」から、合理性を持ち得ない、としている。

しかしながら、この解釈も誤っている。

まず、この判断は、上告人らが主張してもいない事項に対する判断を含んでおり、訴訟法上違法である。

上告人らは、公害防止計画が定められている地域の住民には、公害防止計画が定められているから、原告適格が認められるべきだと主張したこともなければ、公害防止計画が定められていない地域の住民については、公害防止計画が定められていないから、原告適格が認められるべきではない、等とも主張したことは一度としてない。この意味で原判決は、上告人らの主張を曲解すること甚だしく、侮辱的判旨である。

上告人らは、原告適格が認められるべき理由の第一として、その居住する東京都に公害防止計画が定められていること、及び都市計画法の一三条一項各号列記以外の部分で「公害防止計画が定められているときは、都市計画は、当該公害防止計画に適合しなければならない」とされて、都市計画法という法律が規定しているから、原告には原告適格が認められると主張してきたのであって、東京都という地方公共団体が公害防止計画を定めているから、原告適格が認められるべきだと主張しているのではない。

都市計画法そのものが規定していることを、上告人らが主張してもいない事由を理由にして否定する解釈は、誤りも甚だしいといわねばならない。

上告人らは、原告適格が認められるべき第二の理由として、第一審以来主張してきたところは、都市計画法の立法経過(甲第二四、二五、二六、二七、五五号証)に照らせば、都市計画法は都市における公害防止に配慮した法規であること、この法意は都市計画法第一条、第二条に明記されていること、その上、都市計画法と目的を共通にする旧公害対策基本法と併せ考察すれば、都市計画法は都市計画事業地域の付近住民に都市計画事業による公害を受けない利益を法的に保護していると、当然に(つまり、法一三条一項各号列記以外の部分で「公害防止計画に適合しなければならない」としていることに言及しなくても)、解せられる、と主張してきたものである。

この第二の主張は、上告人らは都市計画法一三条一項各号列記の部分は、都市計画法が都市計画事業地域の付近住民に都市計画事業による公害の被害を受けない利益を保護していることを具体的に表わす「徴表」と解すべきであると主張していることを意味しているのである。

上告人らが、公害防止計画が定められていない地域には原告適格が認められるべきではないとは、主張してもいないことは明瞭である。

五 なお、原判決は、右に一審判決を引用した理由中で、「特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、その侵害をもたらすとされる事業の施行前に明らかとなることが有り得るとは経験則上考えられない」としている。

しかしながら、これこそが、驚くほど経験則に反する見解であり、一般の嘲笑を買うほどに非常識極まりない誤りである。

汚物処理場、ごみ焼却場、と畜場、火葬場、道路等の都市施設の建設に反対する運動が、当該都市施設建設予定地周辺ないしそれに近接して居住する住民によって行なわれること、他方かかる都市施設建設予定地から一定程度離れた地域の住民は、逆に汚物処理場、ごみ焼却場、火葬場、道路等の建設に反対しないばかりか、その必要性を力説しその建設に積極的に賛成にまわることがあることは、都市に居住する者であれば誰でも日常的に経験するところである。特に東京都においては、かかる反対運動と賛成運動ないし推進運動は日常茶飯に頻発している。建設予定地周辺ないし近接する住民によって反対運動が行なわれ、一定程度離れた地域の住民によっては反対運動が起こらないのは何故かといえば、それら都市施設が現に建設されたときは、それら都市施設から直接に排出される臭気、騒音、大気汚染等の被害がそれら都市施設の周辺ないしは近接住民の上にのみ発生することが事前に予想されるからに他ならず、かつ、一定程度離れた地域の住民には発生しないことが事前に予想されるからに他ならない。すなわち「特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、その侵害をもたらすとされる事業の施行前に明らかとなる」からである。

いわゆる大阪西淀川大気汚染公害訴訟(大阪地方裁判所平成七年七月五日判決・判例時報一五三八号一七頁)は、大略、大阪市西淀川区に居住する住民らが原告として、国道四三号線を管理する被告国、阪神高速道路大阪池田線を管理する被告阪神高速道路公団に対して、右道路を走行する自動車等から排出される大気汚染物質により健康被害を被ったことを請求原因として、環境基準値を超える窒素酸化物及び浮遊粒子状物質の排出の差止め並びに損害賠償を請求した民事訴訟事件であり、その判決は、国道四三号線及び阪神高速大阪池田線の各道路端から五〇メートル以内に居住する沿道住民に限定して、損害賠償請求の一部を認容した事例であるが、右判決において、右両道路が供用開始された昭和四五年当時においては窒素酸化物による自動車公害は予見不可能であったとする被告らの免責の抗弁に対して、次のように判断を示している。

「西淀川区においては全国有数の高濃度の大気汚染が社会問題となっていたのであり(略)、加えて自動車排出ガスの有害性が繰り返し指摘され、有害物質の一つとして窒素酸化物に対する警告もなされてきていたことからすれば、そのような状況下で高濃度汚染地域に一日一〇万台規模の巨大道路を二本(国道四三号線、阪神高速大阪池田線)も設置しその全面供用を開始しようとする以上、それによって新たに大気中に排出されることになる自動車排出ガス量の調査、その危険性の研究を行なわなければならないのは当然というべきであって、その契機は昭和三〇年代の終わり頃ないし昭和四〇年代の初頭には十分見いだすことができる。健康への影響が危惧されている以上、科学的な解明が十分でなかったからといって、危険を予測することができなかったとするのは相当ではない。」

右判決は、供用開始時点における被害発生の予測が可能であることを判示するものであるが、東京都においては将来にわたって、大気汚染が悪化こそすれ、改善の見通しが立たない現況(甲第六〇、六一の1、の二、六二の一、の二、六三、六四の一、の二、六八の一、の二、七一、七三の一、の二、各号証)である以上、供用開始時点の予測可能性と事業の認可、承認の時点の予測可能性に差異があるとは考えられない。

また、いわゆる国道四三号線公害訴訟についての最高裁第二小法廷判決(平成四年オ第一五〇三号、上告人国、同阪神高速道路公団、平成七年七月七日言渡・判例時報一五四四号一八頁)は、原審が国道四三号線、兵庫県道高速神戸西宮線及び同大阪西宮線の供用に伴い自動車から発せられる騒音、排気ガス等がその周辺住民に生活妨害等の被害をもたらし、その程度は受認限度を超えた違法があると判断したものであるが、上告人らがこの点を捉えて、受認限度を超えるものではないと争った上告理由第三点についての判断において、「原審の適法に確定したところによれば、原審認定に係る騒音等がほぼ一日中沿道の生活空間に流入するという侵害行為により、そこに居住する被上告人らは、騒音により睡眠妨害、会話、電話による通話、家族の団らん、テレビ・ラジオの聴取等に対する妨害及びこれらの悪循環による精神的苦痛を受け、また、本件道路端から二〇メートル以内に居住する被上告人らは、排気ガス中の浮遊粒子状物質により洗濯物の汚れを始め有形無形の負荷を受けていたというのである。……本件道路の交通量の推移はおおむね開設時の予測と一致するものであったから、上告人らにおいて騒音等が周辺住民に及ぼす影響を考慮して当初からこれについての対策を実施すべきであったのに、右対策が講じられないまま住民の生活領域を貫通する本件道路が開設され、その後に実施された環境対策は、巨費を投じたものであったが、なお十分な効果を上げているとはいえないというのである。」と判示して原審の判断を是認している。

右最高裁判決もまた、右道路開設時において生活妨害等の被害の予測が可能であったことを肯定するものである。前記同様に、東京都においては大気汚染状況は、悪化こそすれ、改善の見通しがない現況(前記各甲号証)においては、供用開始時の予測可能性と事業の認可、承認時における予測可能性に差異があるとは考えられない。

結局、右大阪西淀川大気汚染公害訴訟大阪地裁判決も国道四三号線公害訴訟最高裁判決も、環状六号線拡幅事業・首都高速道路中央環状新宿線建設事業による特定範囲の住民の利益の侵害が他の住民と区別しうる程に重大かつ直接的であることを、「事業の施行前に」予想できることを根拠付ける事例である。

六 原判決は、原告適格を否定する理由として、第一審判決を引用した前記部分において、次のように判示している。

「特定の範囲の住民については、その利益の侵害が他の住民と区別し得る程に重大かつ直接的であるということが、……本件認可又は承認の根拠法規にもそのような住民を区別するような基準を定める規定は置かれていない(原告らは、本件条例の定めがそのような基準であるとの主張をするが、……本件条例の定めは本件認可又は承認の適法要件となるものではないから、このような見解を採ることはできない)。」

右部分は、言葉足らずのところがあり、その意味が判然としないきらいがあるが、原判決は次の二点を判示しているものと解せられる。

第一点 原告適格を認め得るためには、特定の住民を他の住民と区別し得る基準を定めた規定が、本件認可又は承認の根拠法規の中に置かれていなければならない。

第二点 本件条例(東京都環境影響評価条例・東京都条例九六号)の定めは、本件認可又は承認の適法要件とはなりえないから、控訴人らを他の住民と区別する基準にはなりえない。

しかしながら、この解釈にも明らかな誤りがある。

1 右第一点につき、

(一) 原判決は、ある特定の住民を他の住民と区別する基準を定めた「規定」を必要とすると判示するが、原告適格を否定する他の判決例においても肯定する判決例においても、同旨を判示する事例は皆無である。この意味で原判決は原審独自の判断であるというほかはない。

新潟空港事件、もんじゅ行政訴訟事件についての、原告適格を肯定した最高裁判決も、ある特定の住民を他の住民と区別する基準を定める規定を必要とすると判示するものではない。新潟空港事件についての実体法である航空法の中にも、もんじゅ行政訴訟事件についての実体法である原子炉等規制法の中にも、そのような、ある特定の住民を他の住民から区別する基準を定めた規定は存在していない。

この意味で原判決は、右二つの最高裁判例に違反している。

(二) 原告適格を肯定する、右新潟空港事件、もんじゅ行政訴訟事件その他の判決例(最高裁判所判例解説民事編昭和五三年度、八八、八九頁掲記のもの等)から抽出、帰納される判例の趣旨としては、特定の者を他の者から区別する基準について、法的基準であることを要するとするものでもなく、まして、当該行政処分の根拠法規に規定が置かれていることを要するとするものとも解せられない。当該具体的事実関係の下において、ある特定の者が他と区別可能であれば十分である。この意味で区別の基準は当該事実関係の中に存するをもって足りると考えられる。

このことは、もんじゅ行政訴訟事件最高裁判決に端的に示されている。同判決は、原告適格を有する者の範囲を原子炉から半径二〇キロメートル以内としたその原審判決に対して半径五八キロメートルのところに居住する者にも原告適格を認めているが、そのように判断する基準についての論理が判示されているわけではない。

判例の趣旨は、区別の基準の根拠を問題とするのではなく、ある特定の事実関係の下において、根拠法規によって保護されている利益の中で特定の者の利益が他の者の利益よりも強く保護されていると解せられるか否かの点にのみある、と考えられる。

原判決を子細に検討すると、原審も、もんじゅ行政訴訟事件の関係では、実は、右判例の趣旨に沿う判断を示していると解せられる部分もある。「規制の在り方いかんによっては『災害の防止』、『公共の安全』の程度に差異が生じうることを考慮すると」「原子炉等の付近住民の個別的利益をも保護する趣旨が含まれていると解されるところである」と判示しているからである。

この判示部分で、「規制の在り方いかんによっては」ということは、当該事実関係によってはということを意味するのであるから、その事実関係によって特定の住民が他の住民と区別されることになり、その区別によって、原告適格を基礎付けることになることを認めたものであると解せられるのである。この意味でも、原審の論理破綻は明らかである。

2 右第二点につき、

この点についても、原判決は上告人らが主張してもいない点を判断している。

上告人らは、右の原判決が括弧書きでいうように、本件条例が都市計画法六一条にいう「法令」として本件認可又は承認の適法要件であるから、非財産上告人らを他の者から区別する基準であると主張しているわけではない。

上告人らが、控訴審において、本件条例が都市計画法六一条の認可又は承認の適法要件であると主張しているのは確かであるが、適法要件であるから従って非財産上告人らの原告適格が肯定される、と主張しているわけではない。

上告人らが主張してきたのは、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業の承認行為がなされる過程で、行政庁たる東京都知事が、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業の実施が環境に著しい影響を及ぼすおそれがある地域として定めた一定地域(「関係地域」を指している)があり、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業との関係においてはもちろん環状六号線拡幅事業との関係においても、上告人らはその地域の範囲内に居住ないしは通学、通勤している事実がある、この事実によって、上告人らは他の住民と区別することが出来ると主張しているのである。

つまり、上告人らが区別される基準は、本件事実関係の中にあるのである。

上告人らが、原告適格の関係で東京都環境影響評価条例の存在を主張する理由は(この条例が都市計画法第六一条の「法令」であるということとは関係がなく)、上告人らが本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業との関係でも環状六号線拡幅事業との関係でも、その事業地とある特定の関係が、ある地域に居住等しているという事実があり、その事実は、地域の特定性が上告人らの意思・行動とは関係のない、ある客観的基準によって定められたのであり、その客観的定めは、右条例に基づいて行政庁が、首都高速道路中央環状新宿線建設事業によって悪化しかねない環境を保護する観点から他の地域より、より配慮を要する地域として定めたものだと主張するところにある。

もちろん東京都知事としては、右地域(つまり「関係地域」)を条例という法規にもとづいて定めたのには違いないが、こと本件原告適格の問題との関係においては、その定められた地域は、本件訴訟においては事実たる性質を有する。特に本件環状六号線拡幅事業との関係においてはそうである(この意味は、本件環状六号線拡幅事業の認可の過程においては本件東京都環境影響評価条例が適用されなかったことを指すものである)。

ただ事実としてそうであるにしても、上告人らが特に強調したい点は、新潟空港事件やもんじゅ行政訴訟事件と異なり、本件では、右事実が、本件首都高速道路中央環状新宿線建設事業にかかる都市計画を決定した行政庁(東京都知事)によって定められた、という点である。つまり、当該都市計画を決定した行政庁が環境保護の観点から上告人らを他の住民から区別したのであるから、単なる事実によって区別される以上に区別の基準が明瞭である、と主張しているのである。

そうである以上、環状六号線拡幅事業との関係についても、上告人らは同一の地域内に居住等しているのであるから、他の住民から区別される、単なる事実による区別以上の明瞭な基準があると主張しているのである。

上告人らが他の住民から区別される基準は、右のとおり本件事実関係の中にあり、そして、上告人らが、他の住民より区別されて保護されることになるその法益の根拠がどこにあるかといえば、それは右条例にあるのではなく、前述したとおり(都市計画事業による公害を防止せんとする法意を含む)都市計画法にあると主張しているのである。

七 結語

以上の通り、原判決は、非財産上告人らについて、その原告適格を否定したものであるが、これは原判決が、行政事件訴訟法第九条、都市計画法第一条、第二条、第一三条各号列記以外の部分、同条一項五号の解釈を誤ったことによるものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

第二 上告理由第二点〈省略〉

第三 上告理由第三点〈省略〉

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